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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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熊野紀行1



平成14年5月1日から3日まで、明生会会員有志の皆様と熊野を探訪いたしました。
南紀白浜空港よりジャンボタクシーを調達、三日間貸切で走り回 りました。初日は中辺路(なかへじ)より熊野大社本宮を経て新宮まで、二日目は新宮より那智の滝、阿弥陀寺などを廻り那智勝浦に宿泊、三日目は串本や白浜 などの海岸線を走り南紀白浜空港へ戻るという行程でした。楽しく、実りある紀行を写真を添えご案内いたします。
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関西

竹生島参詣


平成14年9月、広島花の会で『竹生島』を舞うにあたって、滋賀県近江の竹生島に参詣に行ってきました。
竹生島は能『竹生島』『経政』にゆかりある地で、この二曲を軸に探訪してきました。

能『竹生島』は醍醐天皇の臣下(ワキ)が四の宮、逢坂の関を越えて琵琶湖湖畔、志賀の里に着き、漁翁(シテ)の釣船に便船を願います。
こ こで笑い話を一つ、『竹生島』の次第は「竹(たけ)に生まるる鶯の、竹に生まるる鶯の、竹生島(ちくぶしま)詣で急がん」ですが、ある人が最初に竹(た け)を(ちく)と読んでしまった、聞いていた先生は怒りたかったが、まー返し(二回目)には気が付くだろうと黙っていた、しかしこの人、返しも(ちく)と 謡ったから、さあーたいへん! 先生、怒り出し、怒鳴って「こらー、たけだーっ」と…するとこの人、竹生島(たけぶしま)詣で急がんと平気で謡ったと か…。
能『竹生島』に話を戻します。シテ(漁翁、実は龍神)とツレ(女人、実は弁財天)は釣船を浮かべ、浮き世の業を悲しみながらも、春の長閑な景色を眺め、湖畔から声の掛かるのに気付いて舟を寄せます。
ここのところを謡曲では
「真 野の入り江の船呼ばひ、いざ漕ぎ寄せて言問わん」とありますので、志賀の里、真野あたりで乗船させたことになります。「所は湖の上…」からの謡では左に比 良叡山を眺め、満開の桜の花であたかも雪が降っているようだといいますから、春爛漫長閑の極みで能『竹生島』の一番の聞かせ所です。
しかし、謡の言葉通り櫓で漕ぐ舟では志賀から竹生島は余りに遠く、現実には無理です。フェリーの船長さんにお話をお聞きしたところ、昔、竹生島北側の半島から櫓を漕ぐ舟で、一時間もあれば着くことが可能な航路があり、当時は風を利用して行き来していたということです。
このフェリー会社も実はそこが起こりと仰ってましたので、航路としてはこちらが本当らしいですが、今は謡ならではの航路と思われます。
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関西

湖西線の旅



平成17年度の阪大喜多会の夏合宿は9月2日より3泊4日で、滋賀県安曇川(あどがわ)の丸三旅館で行われました。
折角、湖西近郊へ行く機会を得たのでいつもの謡蹟めぐりをと思いたち、湖西線近郊の謡蹟を尋ねてから、阪大の合宿に参加することにしました。

京都駅から湖西線に乗り換えて唐崎駅で下車し、『三井寺』で謡われる唐崎神社の「唐崎の一つ松」を訪ねることから始めました。
湖 西線は昭和50年に開通したまだ新しい路線だと、後日、丸三旅館のご主人からお聞きしましたが、交通の利便性とは裏腹に、昔から営業していた沿線のもろも ろのお店が次第に店をたたまざるをえない状況になったということでした。安曇川も以前は旅館がいくつかありましたが、今は一、二軒になったらしいです。

話を戻します。
唐 崎駅前からタクシーを利用するつもりが、驚いたことに乗り場に一台も待機していません。地元の人に聞くと「呼ぶと西大津から来るから時間はかかるねえ」と 言われ、仕方なく徒歩でいく覚悟を決めたちょうどそのとき、一台駅前に入ってきたので、もうすぐに両手を挙げて呼び止め、飛び乗りました。乗車して判りま したが、徒歩では少々時間がかかりすぎる距離でした。唐崎の一つ松のあとに坂本の日吉大社まで運んでもらうように交渉して、タクシーを待機させて松をゆっ くり見物することにしました。

唐崎神社の一つ松はとても立派です。『三井寺』の謡に、「志賀唐崎の一つ松、緑子の類ならば松風にこと問わん」とあるように、狂女となった緑子の母は、遠くから見るこの一つ松が、わが子緑子と重なって映って見えたのでしょう。

琵琶湖に面したこの南部の場所は、近江八景の一つで「唐崎の夜雨」として有名です。因みに八景とは「比良の暮雪」「矢橋の帰帆」「石山の秋月」「瀬田の夕照」「三井の晩鐘」「堅田の落雁」「粟津の晴嵐」の八つをいい、中国の瀟湘八景に擬したものです。
最近はこの時期になると、藻の発生で湖水が濁り悪臭を放つようになってしまいました。のどかに写真撮影と思っていましたが、時折鼻をふさぎたくなるような臭いは、私を早々と坂本へ移動させてしまいました。

日吉大社の敷地は広大で大規模ですが、もとは唐松神社の方が古く、その後、分社として日吉大社が出来たといわれています。
日 吉大社は全国3000余社の山王さんの総本宮で、入り口を入るとすぐに大宮川に掛かる石の橋があり、これは日本最古の石橋です。それより上り坂を上がると 鳥居が見えてきます。中に入ると東本宮、西本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮の七社の神が祭られている社殿があります。鳥居の近くに神輿庫が あり七社の御神輿があります。平安時代、叡山の僧兵達がこの神輿を担ぎ、京の都に入り朝廷や平家に異議申し立てをしたのは有名な話ですが、よく京の都まで 運んだものだと感心させられます。

この付近は『大江山』のシテ・酒呑童子が昔住んでいたところです。比叡山を開いたのは最澄ですが、能では土着民族を仏力で追いやる体制側に対して反対側からの視点で、追われる者の嘆きや敗北を演じます。

日吉大社の横には比叡山山頂へと続く山道があります。昔は信仰のため時間をかけて歩いて登っていたようですが、今はケーブルで山頂まで10分程で気軽に行けます。山頂に着くとさすがに涼しく、夜は温度もだいぶ下がるとのこと、さぞ冬の叡山は厳しいものがあると思われます。

比叡山に「延暦寺」という単一のお堂はありません。広大な比叡山そのものが延暦寺と呼ばれている聖域です。
『安宅』で「もとより弁慶は三塔の遊僧」とありますが、三塔とは東塔、西塔、横川のことで、弁慶は西塔に住んだと言われています。比叡山は現在三塔、十六谷七十三院百九坊の旧観を回復しました。
私は今まで根本中堂しか見たことがなかったので、今回は是非、武蔵坊弁慶に関わる西塔、『浮舟』にまつわる横川中堂と三塔すべてをまわるのが目標となりました。

坂本までお世話になったタクシーに山頂まで来てもらい西塔、横川とまわり、奥比叡ドライブウエイを堅田で降りて浮御堂を見学し、『竹生島』で「真野の入り江の船呼ばい」と謡われる真野海岸、そして脇能の稀曲『白鬚』の白鬚神社に参拝し、丸三旅館に夕方着きました。
では写真でご紹介します。
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関西

謡蹟巡り 大阪近郊



 16年3月15日、住吉大社、浅澤神社、遠里小野(おりおの)、仁徳天皇陵、道明寺のコースで謡蹟巡りをしました。

津の国住吉の里は、昔住之江、墨江などと呼ばれ、能『高砂』の待謡「はや住の江に着きにけり」にある通り、難波の入り江は住吉大社近くまで迫り、大社前には燈篭がいくつもありました。今は埋め立てがすすみ住吉大社前は大きな住吉公園となって昔の面影はありません。

住 吉大社近くの道場館の人に、浅澤神社や遠里小野への道を教えてもらい、昔を偲ぶ風情でもと、遠里小野らしい写真欲しさに、少し期待しながら熊野街道を歩き ました。電車で4駅分もの長距離を歩いても、それらしき景色はなく、あきらめて堺市と住吉市を渡す「遠里小野橋」から路面電車に乗り住吉大社まで引き返し ました。

昼食後、仁徳天皇陵へ向かいました。月曜日のため博物館、日本庭園は休館とは知りながらも、やはり近くまで来ると拝観出来ないのが心残りでした。

百 舌駅から天王寺駅まで戻り、道明寺へ向かいました。道明寺は道明寺天満宮と寺と二つに分かれていますので、お寺から先に参りました。看板にご本尊十一面観 音の記載があり、喜んで本堂に行くと拝観は18,29日のみとあり落胆しました。それでも絵はがきを買いお話を伺ううちに、自分が能楽師であると明かし、 能『道明寺』のなかで謡われている木ゲン樹のことなどに話が及んでくると、「特別に拝観させてあげましょう」との尼僧のお言葉。大喜びして拝見いたしまし た。御堂で、尼僧が道明寺の歴史などいろいろ説明して下さり、実りある一日となりました。

天満宮はお寺の隣にあり、敷地は広く桜も咲き始めていました。本殿の前には能舞台が有り、5月には天神能が催されるようです。梅園は花の時期を過ぎていましたが、シーズン中はなかなかの混みようだろうと推察出来ました。

今回の旅では奈良や京都に比べ、謡蹟保存会の立て札も無く、昔を偲ぶ旅にはなりませんでしたが、楽しい一日を過ごすことができました。
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関西