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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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謡蹟めぐり高崎近郊



GWの初日(平成22年4月28日)、高崎近郊の謡蹟めぐりに行きました。
新幹線は混雑が予想されるので、湘南新宿ラインの普通電車を利用して、恵比寿から高崎まで2時間かかりますが行って来ました。
東京は晴れていたのですが、高崎近くになったら車窓に雨が落ちてきて、傘が必要になりました。
今回は駅前でレンタカーを借りての謡蹟めぐりです。カーナビーがマイナーな訪問先を案内してくれるので助かりました。

訪問先は、頼政神社(『頼政』)、常世神社(『鉢木』)、佐野の船橋(『船橋』)とその歌碑、定家神社(『定家』)が南高崎駅周辺、午後は磯部まで移動して、松岸寺(『藤戸』)の佐々木盛綱の墓にお参りして、最後は「はやし屋」でひとっ風呂浴びて帰りました。




頼政神社
場所 高崎公園隣 宮元町
元禄八年、松平右京大夫輝貞公が高崎藩に封ぜられた時、祖先・源頼政公を祀って頼政神社を建てました。源頼政は能では『頼政』『鵺』で登場する、平安末期の源家の正統に生まれた武将にして歌人です。昇殿を願い詠んだ「人知れぬ大内山の山守は木隠れてこそ月を見るかな」は『小袖曽我』にも謡われている。




佐野の船橋跡
場所 上佐野町 
昔は橋がなかったので幾艘かの舟を繋げ、間に板を敷いて橋の代わりにしていたので船橋と言われていました。今は橋桁は鉄筋ですが、それでも木橋はなかなか風情があります。




船橋から上信電鉄電車
橋を渡っていると電車が通過しました。あまり通過しないのは単線のためです。




船橋遠景
対岸に渡り撮影。意外と川の流れが速いのに驚きました。橋桁のブルーカラーはどうも不似合いに感じますが・・・。





橋の上から川を覗くと鯉が上流へと泳いでは流され泳いでは、と繰り返していました。鮭なら判りますが、鯉も上るのでしょうか?




佐野の船橋歌碑
場所 上佐野町 西光寺近く
「かみつけの佐野の舟はしとりはなし 親はさくれどわはさかるがへ」の歌碑があります。能『船橋』では「東路の佐野の船橋取り放し、親しさくれば妹に逢わぬかも」と謡います。文政10年に作られた歌碑ですが、当時はここから烏川が見られたと思います。今は新幹線の架線しか見えないのが寂しいです。




謡蹟保存会の立て札
今回はじめての保存会立て札。思わず「あった!」と叫んでしまいました。




常世神社鳥居
場所 上佐野町 
車で通ると見過ごすほど小さな鳥居です。




常世神社
能『鉢木』の主人公、佐野源左衛門常世を祀っています。




石碑
神社左手に石碑があります。




謡蹟保存会の立て札
常世神社は新幹線の下にありますが、神社を外して走ってくれてよかったです。




新しい保存会の立て札
最近立てられた立て札です。いつも見慣れているものと少し違いますが、やはりこれがあると謡蹟めぐりをした気分になります。




定家神社にある周辺案内図
場所 定家神社内 
最初にこれを見れば、周辺が判りやすかったことでしょう。




定家神社
場所 上佐野
元は高田神社と呼ばれていましたが、定家の詠んだ「駒とめて袖うち払ふかげもなし、佐野のわたりの雪の夕暮れ」にかけて定家を合祀して定家神社と言われるようになりました。「駒とめて」の歌は三輪山の麓の佐野とも、新宮市の佐野とも言われているので、あまり能『定家』とは関係が薄いようです。




松岸寺
場所 磯部4丁目11番地
安中から磯部に向かうと右側に見えますが、見逃してしまうほど小さな参道です。佐々木盛綱の菩提寺です。




佐々木盛綱夫婦の墓
お寺の左手奥にあり、立派な建物の中には五輪塔があります。





右が盛綱、左が盛綱の妻の墓と言われています。




磯部を流れる碓氷川
能『鉢木』はワキ北条時頼(出家・最明寺)が信濃国から鎌倉へ帰る途中、佐野にて大雪にあい、一夜の宿を借りるところからはじまります。ワキの道行の謡に碓氷川が出てきますので、最後にご紹介して終わります。「今ぞ憂き世を離れ坂、墨の衣の碓氷川、下す筏の板鼻や、佐野のわたりに着きにけり」離坂は軽井沢の離山、板鼻は磯部から高崎に向かう途中にあります。



関東