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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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石塔寺



平成21年10月3日、喜多流の仲間3名と滋賀県の阿育王山・石塔寺(あしょかおうざん・いしどうじ)に行きました。一度は訪れたいと思っていた珍しいお 寺ですが、なにしろ交通の便が悪い辺鄙なところなので、車が便利です。今回はレンタカーを借りての大阪からの出発となり、参拝して参りました。
 



まずは記念撮影、石塔寺に行きたいと提案した粟谷能夫氏(右)と出雲康雅氏(中央)と私。撮影 内田成信氏




石仏を目指し
粟谷能夫氏の「では行きますよ!」の掛け声に全員気分はワクワクでスタート。




本堂と阿育王塔への道
この参道を上がると左手に受付、右手に本堂が見えます。




拝観料と御朱印
受付で御朱印を頂く内田成信氏。




山門
石塔寺の開基は聖徳太子、天台宗のお寺です
阿育王山の文字が横に並んでいる門をくぐると左に本堂があります。




本堂前 
どうも行動が別々になりがちな私たち、でもひとたび号令をかければ・・・。




本堂
織田信長の元亀の兵火などにより、伽藍は焼失し全山荒廃しましたが、江戸時代に天海大僧正の弟子、行賢により復興されました。




石段の脇に石仏
本堂を出て右に長い急な石段が見えます。
石段の左手には石仏が見えはじめ独特の雰囲気が感じられますが、これは未だほんの序の口でした。




石段
長くきつい上りの石段、ここでも我々の行動は・・・バラバラ。




三重石塔
石段を上がりきると・・・眼前にこの風景が飛び込んできます。
司馬遼太郎は「最後の石段をのぼりきった時、眼前に拡がった風景のあやしさについては私は生涯忘れる事が出来ないだろう」と評していますが、まさにその通り圧巻です。




阿育王塔と石仏
インドの阿育王が仏法興隆のために世界中にばらまいた八万四千の仏舎利塔は日本にも二つ届きました。一つは琵琶湖の湖底に沈みましたが、もう一つがここ石塔寺にあります。
比叡山の寂照法師が宋(唐とも)に留学し清涼山にて修行中、琵琶湖東辺に阿育王塔が埋もれることを聞き、日本に手紙を書きました。それを知った一条天皇は勅使の平恒昌と武士の野谷光盛に調べさせると、この地の土中より大塔が出現しました。
能『石橋』の脇役は「これは大江の定基といはれし寂照法師にて候」と名乗りますから、ここは謡蹟でもあります。




記念撮影その1
前日は雨でしたが、まぶしいくらいの晴天に恵まれました。






記念撮影その2
「私も〜〜撮ってよ」と内田君に撮影依頼、石塔の大きさがお判りになると思います。




石仏群
鎌倉時代になると、参拝者が極楽往生を願い五輪塔や石仏を奉納するようになり、
多くの石仏が集まりました。




石仏
江戸時代にも石塔石仏の奉献は引き継がれ、その数は次第に増えたそうです。




石仏
三重石塔の周りだけではなく、正面右手にも多くの石仏が広がっています。




石仏いろいろ
広角レンズで撮影してみました。




山頂一周コース
一周廻れる山道があり、その脇にも石仏がたくさん点在しています。




いろいろな石仏
こんな珍しいものもありました。




下り坂
この手すりは助かります。先を行くのは出雲康雅氏、後方に内田成信氏
粟谷能夫氏はもう降りているらしく見あたらない。
ちょっとよそ見をしていると踏み外す危険な下り坂ですのでご注意下さい。




感無量の内田成信氏
「ご感想は?」に「あ〜いいところですね…、ここが僕の御朱印のはじまりだ〜〜」と
私も今回訪れることが出来て感激でした。



関西