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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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蟻通神社



JR阪和線・長滝駅は各駅停車しか止まらず、夜遅くには駅員もいなくなる小さな駅です。その長滝駅を下車して徒歩10分ほどに蟻通神社があります。
天 王寺駅から50分程で長滝駅に着き、駅員さんに「蟻通神社はどちらですか?」と聞くと徒歩12,3分と答えてくれましたが、時間に余裕がなかったのでタク シーを呼ぶことにしました。見渡すと駅前にタクシー乗り場はなく、ご用命は泉陽タクシーの看板があるだけです。電話して待つ こと5分、日根野駅からタクシーが来ました。運転手さんの話では特急も快速も停車する日根野駅でタクシーを利用した方が賢明だということでした。多分私は 二度と行くことはないでしょうが、これからお尋ねになる方のために、日根野駅からタクシーのご利用をお薦めします。

能『蟻通』の物語は歌 人・紀貫之が和歌の神を祭る玉津島神社へ参詣する途中、雨の夜に蟻通神社の前を神域と知らずに下馬せずに通り過ぎたため、蟻通明神の怒りにふれ馬は倒れ貫 之は落馬します。そこに老人の宮守が現れ、社への無礼を警告し、貫之に和歌を詠じて神慮を慰めるように薦めます。貫之は「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、 ありとほしとも、思うべきかは」と詠むと倒れた馬は再び立ち上がり、宮守は和歌の六義や和歌の心について語ります。貫之は宮守に祝詞を所望し共に祈りま す。
神代以来の歌道を讃たえ舞歌を奏上すると、遂に宮守は自ら蟻通明神と名乗り鳥居に近づいたかと思うと、消えてしまいます。貫之は神の出現を喜び夜が明けると再び旅立つのでした。

蟻通神社
現在の場所は第二次世界大戦中に陸軍飛行場建設のために移転させられたところですが、もともとは熊野街道沿いに鎮座していたようです。蟻通神社の名前の由来となった「蟻通伝説」には熊野詣や玉津島参詣の人々が多く蟻の行列のようだったと記されています。しかし今は全くその面影もなく、能の宮守が「神は宜禰が習わしとこそ申すに、宮守一人もなきことよ」と嘆くと同様、閑散としていました。




蟻通神社鳥居
能『蟻通』のシテは最後にこの鳥居に御幣をあて、後に投げ捨てて消えてしまいます。




能舞台
周りから四本柱を支えているほど老朽化していて橋掛はありませんでした。




能舞台と本殿
前に見えるのが橋掛りのない能舞台、その奥に本殿が見えます。




紀貫之冠の碑
鳥居の右奥の池の中に冠之碑があります。能では烏帽子を落とすことには触れませんが、碑には落馬して冠を落としたことが記されています。実際に落馬した場所はここではなく、熊野街道沿いですが、現在は池の中に碑が建っています。


 
関西