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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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熊野紀行2

 二日目

朝から大雨という悪天候でしたが、徐福公園、浮島の森を廻り、熊野速玉大社にお参りしました。
速玉大社には歴代の天皇の御幸記録があり、特に後白河法皇の三十数度のご参詣にはその信仰の篤さに驚かされました。




速玉大社(写真上)と歴代天皇の御幸記録
熊野速玉大社の祭神はもともと神倉山に祭られていましたが、景行天皇の時代に現在地に遷座したといわれています。そのため神倉山を元宮、ここを新宮と呼ぶようになり、神倉山の地名が残ったようです。
神倉神社は山の中腹に鎮座するゴトビキ岩と呼ばれる巨岩がご神体です。ここにお参りするには、ほとんど垂直に近い絶壁の急斜面の登坂となり、隊員三名は無念の退却。はうように登りにくい急傾斜を上がると、連縄を張られた巨岩が現れ、その大きさに圧倒されました。またここからの展望はすばらしく、熊野灘や市街地の眺めが最高で、頑張って登ってきた甲斐があったと大満足、嬉しくなりました。

ゴトビキ岩に参る登り口の鳥居



ご神体の巨岩 



まさに四つんばいになりながら上った斜面、後ろを振り返ると足元がすくむ。



下りで隊員一人が尻もちをついた、急階段。

神倉神社を後に那智の滝に向かいましたが、途中に政子が建てた頼朝供養塔に立ち寄りました。



頼朝は正治元年53歳にて没、死因は落馬と言われていますが、頼朝ほどの武将が落馬が原因で死んだとは信じられません。



能『鉢木』に「佐野のわたり雪の夕暮れ、かように詠みしは大和路や、三輪が崎なる佐野のわたり」とある、わたりはこの川(古くは狭野)にあったようです。このあたりより天候も回復してきて、那智の滝を見るには最高の天候となってきました。

那智の滝は本来四十八滝といわれる那智山に数多くある滝のうち、一の滝を那智滝と呼びます。初めて見ましたが日本一の大滝と称されるのにふさわしい大滝でした。
飛滝神社の奥にあるお滝拝所に行くと滝を間近に見られます。但し水しぶきが飛んでくるのを覚悟しなければなりません。

那智滝 一の滝の手前に御幣が立てられてあります。



那智の滝というと、この構図の写真が有名です。訪れるまでは滝の近くに赤い三重塔があると思っていましたが、実際はかなり離れていて、ポスターなどの写真は撮影技術で滝と塔が接近しているように見せているのが判りました。
 那智山の那智スカイラインの終点に妙法山阿弥陀寺があります。ここの鐘は「妙法山の一つ鐘」といわれ、死者の霊は必ずここで鐘を一つ撞いてからあの世に旅立つといわれ、私は現世の安穏と先祖の弔いのため、生きているうちに一度撞いておきました。


阿弥陀寺



上人が火生三昧した地
下山途中で古道を歩くことにしました。有志三人快晴の中、滑る石段に注意しながら20分ほど歩いて下り、古道を満喫しました。


有名な大門坂付近



関跡より滝を眺める

初日へ戻る 三日目へ続く

関西