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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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中国、西安と北京の旅(2)



中国、西安と北京の旅其の二です。



高台にある空海ゆかりの青龍寺。遣唐使に随行した弘法大師空海はここで唐の名僧、恵果阿闇梨から真言密教を学び、3年後日本に帰国し、高野山に金剛峯寺を建立、真言宗を布教しました。恵果は空海との別れを惜しんだといわれ、帰国後まもなく亡くなられました。



青龍寺に現在、住僧はいません。この寺は、謡曲では『是界』にでてきます。


青龍寺










空海に因縁のある四国四県と日本真言宗門徒衆は中国仏教協会の協力の下に1982年に空海記念塔を建てました。空海は真言密教を中心に儒教、道教、医学、音楽、料理を勉強し、また漢字の草書体を利用して平仮名を作りました。



記念碑の前には展示室があり、空海とその関連文献などが展示してあります。



展示室となりには参拝者署名所があり、我々も署名してきました。署名は50年間保管され、次回訪れたときに、本人又は親類の者は希望すれば見ることができるそうです。



私の署名、記念になりました。



阿部仲麻呂の記念碑がある興慶宮、今は公園になっています。



大理石で作られた阿部仲麻呂記念碑。仲麻呂といっても知らない方もあるかもしれませんが、奈良の出身で遣唐使に従い留学生として長安(今は西安)に渡った人物です。この地に35年間生活し、祖国を偲んで、小倉百人一首で有名な「天の原、ふりさけ見れば春日なる、三笠の山にいでし月かも」を詠みました。
仲麻呂はあるとき玄宗皇帝の許可を得て、日本に向かいましたが、途中暴風雨に遭い、ベトナムに漂流。二年後に再び長安に戻り、唐の高級官僚として活躍し73歳で亡くなっています。
謡曲では奈良の春日を主題にした『野守』に「昔、仲麻呂が我が日の本を思いやり、天の原ふりさけ見ると詠めけん・・・」と謡います。
碑の側面には詩人、李白が仲麻呂の死を悲しみ歌を詠んでいます。



図書館といわれ入ってみたら、絵や字の売店でした。しかし今思うと、ここが一番良質で安かったようです。あー、あと二枚ぐらい買っておけば良かったと少し心残りでした。



西安碑林博物館。碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味するものです。



西安碑林博物館。






     
ここに掲げる碑の字は卑の上の点がないのですが、これは字のバランスが良いということで取ってしまったそうです。




石台孝経は玄宗皇帝の自筆です。



鐘楼にあった鐘はここにおいてありました。



現地の中国人ではありません。出雲さん少しお疲れのようでした。



石碑のあった建物ですが、今は建物のみ。手前の芭蕉が立派で綺麗でした。



これはびっくり。木が屋根を突き破ったか、木を尊重して屋根をこしらえたか・・・。


大慈恩寺入口。




大雁塔は大慈恩寺の境内にあります。三蔵法師はこの大慈恩寺に仏像教典の保存を玄宗に願い出て許され、はじめは五層の塔を建てました。その後十層に大改造されましたが、戦乱で七層から上が崩壊し、今は七層が残っています。



大雄宝殿には釈迦如来がありますが、ご覧いただけるでしょうか。



講堂の前から正門を振り返る。



大雁塔入口、いやあ、高さを感じます。



法堂



これから3人で登ります。出雲氏は足をけがされていたので不参加でした。



頂上よりの眺めはすばらしく、良いのですが、登りが辛かった。(6枚)















天井に書かれていました。意味不明。



3層目にありました。釈迦の足型です。



釈迦の足型の説明板。



出口より



下りて出口から見上げて、二度と来れないなーと思いました。



大雁塔出口付近、綺麗に整備されていました。(2枚)





「疲れをとるためにお茶にしましょう」と言われましたが、ここもガイドのコースのひとつでした。



おいしいいろいろなお茶を出していただきました。



もちろん無料ですが、そこは礼儀、少々の買い物をして出ました。


其の三へ続く・・・



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