<< April 2017 | 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

関連サイト

カテゴリー
新しい記事
記事検索
アーカイブ
Total:
T:  Y:
<< 謡蹟巡り 大阪近郊 | TOP | 謡蹟巡り、木曽路の旅 >>
駿河の国



 平成16年5月1日2日に明生会社中の有志にて企画された「三保の松原にて『羽衣』を謡うツアー」に行って参りました。また『羽衣』に因んだ場所や『三井寺』に関連する清見寺(せいけんじ)や『七騎落』にゆかりのある佐奈田霊社などの謡蹟も尋ねてきました。
能 『羽衣』のキリの謡は「天の羽衣浦風に棚引き棚引く、三保の松原浮き島が雲の、愛鷹山や富士の高嶺…」とあります。この「浮き島」は富士山の噴火により出 来上がったといわれる愛鷹山が太平洋との間に作った湿原地帯のことをいいます。このあたりは古代人の住み処でもあったようで、歴史資料の宝庫と聞いています。

沼津より三保の松原に向かう国道一号線の富士市付近の車窓から右手奥に富士山、手前に愛鷹山が見えました。浮き島とは国道と愛鷹山との間の一段低くなった湿原一帯のことです。



沢山の立派な松が群生しています。



天女が羽衣を掛けたと言われる「羽衣の松」。風の影響でしょうか、幹は大きくかなり曲がっていて松葉が少ないのが気になりました。能では漁師(ワキ)の名前は白龍(はくりょう)と書きますが、現地では伯梁(はくりょう)の字を当てています。



清見寺(せいけんじ)は東海道線興津駅の近くにあり、線路に面しています。
宗派は禅宗臨済宗で本堂は石を敷き詰めた中国式の形となっていると社中の松下宗伯氏が説明して下さいました。


丁度ツツジが見ごろでした。近くに「清見潟」というバス停がありましたので、昔はこのあたりも海岸であったと思われます。



左の塔が『三井寺』にでてくる鐘楼。



清見寺の由緒。



『三井寺』のシテは「常は清見寺の鐘を聞きなれしに」とこの鐘を聞いていたのです。



鐘楼からは太平洋が一望できますが、今は埋め立てが進みその景色は昔とはだいぶ違うようです。



『三井寺』の子方は「何のう清見が関の者と申し候か」と母に謡いかけます。ここは昔から重要な関所だったようです。



東海道線の根府川駅を下車して車で5分ほど早川の方に向かうと石橋山合戦場があります。「佐奈田霊社に訪れる人などいないでしょう?」とタクシーの運転者さんに尋ねると「いやー歴史愛好家が今でも沢山きますよ」と返事が返ってきました。



石橋山合戦と佐奈田霊社の説明。



佐奈田(真田とも)与一の塚。『七騎落』にツレの老兵岡崎義実が「自分の息子が佐奈田与一であり、頼朝に命を捧げた」と謡っています。



佐奈田霊社の全景です。



石橋山合戦の模様。



戦いの時の与一の手形といわれる石。



これが与一の手形。本当かどうかは、わかりませんが、見ていると与一25歳の青年の無念な叫びが聞こえてきそうです。



    
    

東海