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喜多流能楽師。
全国津々浦々、謡蹟を訪ねて写真を撮っております。

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名張の旅 観阿弥ゆかりの地と名瀑・赤目四十八滝


名張市は能楽史跡に恵まれた地域です。
近鉄大阪線・名張駅には「翁面を持つ観阿弥像」が駅前ロータリーにあり、また名張市役所前にも「翁を舞う観阿弥像」が建てられています。近年作られた「観阿弥ふるさと公園」には「観阿弥創座の地記念碑」もあり、宇流冨志祢(うるふしね)神社の社務所には名張藤堂家より寄贈された能面・狂言面が45点あります。予約して無料で拝見してきました。
午後は伊賀まで足を延ばし「世阿弥公園」へ。木津川沿いの畑の中に「世阿弥の母の像」がぽつんと寂しくあり、とても「世阿弥公園」とは言えないような有様でした。九品寺の裏手にある八幡神社には「夢跡一紙(むせきいっし)」(世阿弥による元雅追悼文)の碑もあります。台風が接近する悪天候でしたが、折角でしたので赤目四十八滝も見てきました。悪天候の影響で途中から立入禁止となり8つの滝しか見ることが出来ませんでしたが、どうにか雨の止んだ間に濡れないで見られました。
最後に名張駅前にある名張藤堂家邸跡を訪れましたが、次第に近づく台風18号(平成25年9月15日)が心配で、早めに大阪に戻りました。

では行程を写真でご紹介します。

平成25年9月15日
 

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東海

源義朝公最期の地・野間大坊と知立の三河八橋



平成22年7月2日、知多半島先端にある寺「野間大坊」と三河国・現在の知立市八橋を謡蹟めぐりしてきました。
今回は名鉄線を使わず、車にて豊橋 駅から走行時間二時間で『朝長』で謡われる源義朝公の墓がある野間大坊を訪れました。予め予約していたご住職から絵解きをお聞きし、またお寺の縁起などい ろいろなお話も伺うことが出来ました。いつか勤めたいと思う『朝長』の成功祈願をして、木太刀の奉納もしました。乱橋跡、湯殿跡、長田家屋敷跡、はりつけ 場などを巡り、蒲郡への帰路の途中、『杜若』の謡蹟、知立の八橋に寄り、季節はずれでしたが、一輪の杜若を見てまた『杜若』も勤めたくなりました。


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東海

伊東近郊の謡蹟


平成21年7月恒例の「ゆかた会」は伊東温泉・ホテル聚楽で行われました。
下準備のために前日入りした私たちは伊東近辺の謡蹟や名所旧跡を訪ねて来ました。
伊東市は日本三大仇討ちの一つ、曽我物語のゆかりの地です。

曽我物語は、従兄弟の伊東祐親に所領を奪われたことを恨んだ工藤祐経が腹心の大見小藤太(おうみことうた)と八幡三郎(はつまさぶろう)に伊東祐親の命を狙わせたのが事件の発端です。
大見と八幡は赤沢の椎の木三本の地に隠れ、祐親を狙い矢を放ちますが、遠矢は長男の河津三郎祐泰に当たり祐泰は討死にします。その後、大見と八幡の二人は祐 泰の弟、祐清に討たれますが、祐泰の二人の遺児は工藤祐経に対して恨みが残りました。二人の母、満江御前は親戚の曽我家に嫁ぎ、兄弟は曽我を名乗ります。 成人後、兄弟は冨士の巻き狩の夜、夜討をかけて念願の父の敵・祐経を斬り本望を遂げます。しかし兄の十郎祐成は仁田忠常に討たれ、弟の五郎時致は生け捕ら れます。頼朝は命を助けようとしましたが、祐経の子、祐時の歎願により斬首されます。(参考・ふるさとコミック伊東むかし物語)

さて、いつものようにタクシーを借り切り見物しました。
音無神社―葛見神社の楠―東林寺―伊東祐親の墓―物見塚公園―赤沢の血塚―わさび筏場―萬城の滝―大見小藤太館址実成寺―大見小藤太の墓―曽我物語発祥の碑相撲場跡


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東海

あさば能舞台



先日5/9、修善寺芸術紀行と題して、友枝昭世氏の『八島』が演じられました。
地謡は地頭、粟谷能夫・粟谷明生・谷大作・粟谷充雄・友枝雄人・粟谷浩之の6名でした。
天候も良く、ロケーションも最高のこの日の修善寺、あさば旅館の能舞台「月宮殿」を写真にてご紹介いたします。
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東海

新城 富永神社能舞台



愛知県新城市(しんしろし)には富永神社所有の能舞台があります。
新城市本町にお住まいの方々を中心に新城能楽社を結成し、毎年10月の第二金曜日を祭礼能として、長い伝統を引き継ぐ演能奉納をしてこられました。
私は月に一度稽古に伺っていますが、写真のように舞台が拝見できるのは、祭礼能の季節だけですので、今回の写真撮影と共に新城と粟谷家の繋がりをご紹介したいと思います。
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東海

千寿と湯谷



平成18年6月30日、能『千寿』や『湯谷』のゆかりの地、磐田市の謡蹟めぐりをして参りました。

コースは磐田駅から千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓、行興寺の湯谷の墓、磐田伝統芸能館
の能舞台、最後は舘山寺九重ホテルまでと、およそタクシーで2時間の旅行となりました。

今回、千寿の墓の場所が判らなく、磐田市観光案内所に尋ねたところ、担当の坪井さんが
ご親切にたくさんの資料やパンフレットを郵送して下さいまして、それが役に立ちました。
ご親切感謝します。

謡蹟めぐりは辺鄙なところが多いため、今回もまたタクシーの貸切で効率良くまわることにしました。磐田駅で女性のタクシー運転手さんと1時間・¥5300で交渉成立。
早速「千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓に行って下さい!」とお願いしたところ、思った通り「あの??? 地図かなんかありますかね??」と少々頼りないお返事。観光案内所から頂いた地図を見せると、すぐに了解されて舘山寺までスムーズに二時間で回ることが出来ました。

それでは写真をご覧下さい。


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東海

美濃赤坂から湖北観音巡り



 平成17年11月10日から二泊三日で、美濃赤坂からの謡蹟めぐり、そして翌日は琵琶湖湖北の十一面観音見物に行って来ました。
11月10日
JR 大垣駅で下車し、まず今回の行程で一箇所だけ離れている「養老の滝」までタクシーで向かいました。片道30分ほどです。本来、参道を使い徒歩で滝壺まで行 くべきでしょうが、時間の都合上、山頂まで一気に車で上り、タクシーを待機させて、逆に下りながら滝壷と、養老神社のお社を見学してきました。神社には能 『養老』にまつわる「菊水泉」がありましたので試飲しました。春は桜の名所として大混雑だそうです。養老神社のすこし上から山頂まで濃尾平野を一望できる リフトがあったので、それに乗り、タクシーを待たせている山頂駐車場まで戻りました。
『熊坂』や『烏帽子折』で謡われる「赤坂の宿」を通り、子安 の森の子安神社を経て、本日のメイン、朝長の墓にお参りしました。朝長の墓の道は二通りありますが、今回は裏道の朝長ルートで徒歩10分で到着しました。 途中、足場は整理されていますが、マムシに注意の看板がいたるところにあるのは不気味でした。
昼食を時間節約のため、お墓をお参りしたあと刀置き の石近くでとり、下山して『熊坂』で謡われる「青野ヶ原」や「青墓の宿」を通り、「熊坂の物見松」に向いました。それから「垂井の宿」を通り、「野上の 宿」で班女が化粧をしたといわれる池がある岩田千年氏(90歳)宅へお邪魔してお話を伺い、班女観音堂にもお参りして、最後は「関が原古戦場」を見て彦根 のホテルへ帰りました。

11月11日
朝8時半にホテルを出発、多賀大社に行きました。荘厳で綺麗な社は貫禄があり伊勢大社の親と も言われています。社の右となりには現在はあまり利用していない能舞台がありました。二日目のメインは渡岸寺(どうがんじ=向源寺)の十一面観音像です。 湖北は古いお寺が沢山あり、十一面観音の宝庫といわれています。
その後、石道寺から遊歩道を歩いて己高閣に向かいましたが、途中猿の大群が畑を荒 らしているのに遭遇しました。さすがにあれほど多いとすこし怖くなります。己高閣の宝物館に石田三成の母の墓があったので謂れを聞くと、母の出身地だった ようです。ですから関が原合戦に負けた三成は母の故郷の古橋村に落ち延びたのです。
説明を受けるうちに雨が降ってきたので、二日目の行程をここで終了することにして、京都のホテルを目指しました。夕食は八坂神社近くのととや魚長さんで今回の同行者4人で大宴会となり楽しい旅を終えました。


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東海

駿河の国



 平成16年5月1日2日に明生会社中の有志にて企画された「三保の松原にて『羽衣』を謡うツアー」に行って参りました。また『羽衣』に因んだ場所や『三井寺』に関連する清見寺(せいけんじ)や『七騎落』にゆかりのある佐奈田霊社などの謡蹟も尋ねてきました。
能 『羽衣』のキリの謡は「天の羽衣浦風に棚引き棚引く、三保の松原浮き島が雲の、愛鷹山や富士の高嶺…」とあります。この「浮き島」は富士山の噴火により出 来上がったといわれる愛鷹山が太平洋との間に作った湿原地帯のことをいいます。このあたりは古代人の住み処でもあったようで、歴史資料の宝庫と聞いています。

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